自己紹介
このブログの運営者、わたくしタニス谷山の自己紹介ページです。
現在4●歳のおっさんです。
好きなゲームはウィザードリィと三国志の1と2です。
自分の経歴について触れてみたいと思います。
振り返ってみると、自分で言うのもなんですがろくでもない野郎だということがわかりました。
タニス谷山の履歴書
ゲームに触れてから18歳くらいまで
私が最初にテレビゲームをしたのが親戚が持っていたオレンジ色のボディのブロック崩しでした。
本体にグリグリ回すコントローラーがついていたのを記憶しています。
その後、カセットビジョンを親に買ってもらい「きこりの与作」と「ベースボール」を延々と遊んでいました。
小学校に上がり人生初めてプログラミングに触れたのは兄が買ってもらったMSXのBASICでした。
兄が買ってもらった機種はSANYOのPHC-33というものです。
意味もわからず当時流行っていたベーマガに投稿されているプログラミングを打ち込んでいました。
あとゲームセンターあらしのMSXの本とかも読んでました
しかし実際にはプログラミングをするよりもゲームで遊ぶ時間の方が圧倒的に長かったです。
ハマったMSXのゲームはHERO、ブラックオニキス、ハイドライド、ハッスルチューミーなどメジャーどころでした。
当時みんなが遊んでいたファミコンを買ってもらうのはそれから数年経った小学校高学年になった時でした。
その後、中学生になりギターが弾けたら女子にモテるという悪友の言葉を信じギターにハマりだします。
コンピューターとはどんどん距離が出来ていきました。そしてモテることもありませんでした。
かろうじてコンピューターと関わりがあったのは高校が商業科だったのでCOBOLを授業でかじったのと、兄が買ってもらった9801でウィザードリィ6をプレイするくらいした。
25歳くらいまで
それから時は過ぎ、生活はバンド一色でした。
上海兄弟、酢飯倶楽部といった時代を先取りするグループを結成していましたが、時代の先を行き過ぎた為、火がつくまえに敢え無く解散となりました。
コンピューターとの再会は当時やっていたバンドのホームページを作るためにWindows95のマシーンを譲り受けたことがきっかけでした。
HTMLもよくわかっておらず、フロントページという無料のソフトを使ってホームページを作っていました。
ヒモのような生活をしていたある日、iMacのCMでローリング・ストーンズのshe’s a rainbowが使われていたのを見て衝撃を受けiMacを購入しました。
無料で使えるHyperCardというソフトを触って遊んでいました。
しかしプログラミングにどっぷりハマることもなく、うだうだしてました。
出会い系サイトの社員時代
その当時ウェブデザインを仕事にしたいと思いバイトを探していると「未経験OK ウェブデザイナー募集」の求人を見つけ応募しました。
面接に行くとスキンヘッドの怖いお兄さんが出てきました。
その会社は出会い系サイトを運営している会社ということを伝えられました。
断って帰ろうとも思ったのですが、これも何かの縁と思い(怖かったので)そのまま面接を受けました。
履歴書に書いていた「特技:作曲」というのが先方のツボにはまったらしくそのまま採用となってしまいました。
出会い系のバイトの中では成績が良かったらしく、その会社で正社員になりました。
この時アフィリエイトというものを知り「これお小遣いになりそうだな」と感じ仕事中に古本のアフィリエイトサイトを作り始めました。
同僚にCSSとjavascriptというものを教えてもらったのもこの時期でした。
数カ月後、その会社は突如倒産し、私はいきなり無職になりました。
アフィリエイト時代
出会い系サイトで働いた経験をなにかに活かせないかと考え出会い系サイトの裏側を暴露するアフィリエイトサイトを作りました。
割と儲かったのですが似たようなサイトが続々と誕生し、私のサイトは徐々に埋もれていきました。
私の人生を大きく変える事となるA●ネットと出会ったのはこの時期です。
細々としたアフィリエイト収入とパチンコで生活をしていましたが、このままではいけないと思い同棲していた彼女(現在の妻)に背中を押され●8ネットを運営している会社のアルバイトの面接を受けました。
動機はアフィリエイトでどうやったら儲かるか、アフィリエイトの会社に入ったらわかると思ったからです。
私の年齢は既に30を超えていました。
周りの人たちは20代の若い人たちが多く、気後れしましたが事業開発部という新規事業を考える部署に採用され、儲かりそうなガラケーサイトのアイデアを考える日々に突入していきます。
たまたま任されたサイトの売上が右肩上がりになり正社員に採用され喜んでいたのもつかの間。バイトと正社員とでは全く環境が異なりプレッシャーに押しつぶされ体調を崩し休職の後、退職。
この時に心配してくれた同僚が現在私が所属している会社の社長Tくんでした。
自作サイト時代
体調を崩し家に引きこもっていた私にTくんから連絡が入ります。
「タニスさん、こういうサイト作れると儲かるっぽいですよ!」と。
家に居ながらサイトで広告収益を得られるならありがたいとおもいました。
そしてサイトを効率的に作るにはPHPというプログラミング言語を覚えるといいらしいということも教えてもらい、どうせ家に居るだけだからPHPやってみるか。との思いで勉強を開始。
PHPを触りだして目からウロコが落ちる思いでした。
今まではウェブサイトのページ毎にhtmlを上から下まで書いていたのですがフレームワークというものを使うといとも簡単にページがどんどん仕上がっていくではないですか!
PHPの書籍もたくさん読みましたが一番身になったのはパーフェクトPHPという本でした。
PHPを徐々に覚えた私は調子にのって似たようなサイトを量産しました。
家に居ながらA●ネット時代の給料よりも多くの収入を得られ興奮したのを今でも覚えています。
しかしまともにプログラミングを学習したことがなかったので、さらなるスキルアップを求め求職者支援訓練を利用しAndroidアプリ開発の訓練を受けることに。
このとき初めてJavaに触れました。
卒業制作で作ったのは三国志の武将名をタイピングしていくというゲームでした。
「ゲーム作るのちょっと面白いかも」と感じました。
しかしAndroid開発に没頭することもなく、自作サイトの方が儲かっていたのでウェブサイトに必要なサーバーのことや、ドメインの設定方法、データベースの知識等を身に付けて行きました。
さくらインターネットのVPSを借りたりしてLinux(CentOs)を触りだしたのもこの頃です。
しばらくするとTくんと他の同僚が独立してウェブ開発の会社を立ち上げたというので誘われて入社しました。
紆余曲折ありTくんと他の同僚が袂を分かちTくんの新しい会社に所属することになり現在に至ります。
現在は自作サイトを完全にやめてECサイトの改修やウェブサービスの立ち上げ、reactjs等でインスタの営業支援ツール開発など色々やりながら、サラリーマンとしてかれこれ6年くらい所属しています。
タニス谷山とUnity
Unityとの出会い
そんな私がUnityと出会ったのは結構前でした。
まだUnityでC#かJavascriptかもう一個(忘れた)の言語でスクリプトを書ける頃だったと記憶しています。
参考書一冊買ってやってみたもののゲーム作りにしっくり来なくてそのままやめちゃいました。
やってみてやめるの繰り返し
その後も思い出したかのように度々Unityに関心が向かいました。
しかしいずれも1週間くらいチュートリアル的なことをした後に「まあいっか」と言った感じで長続きせずやめてしまっていました。
その時に買った書籍は「Unityの教科書」という有名な本でUnityのバージョンは5とかだったと思います。
なぜやめてしまったのかを振り返ってみると理由は簡単でゲームを完成させるために「絵」「音」「プログラミング」を全部やるのは大変だと感じていたからです。
DXライブラリ
ゲーム作りから完全に興味が失せたかというとそんなことはありませんでした。
ニコニコ動画やYoutubeでT.Umezawaさんの動画やゲヱム道館さんの動画は楽しく見ており「いつかは俺も!」みたいな妄想をしていました。
そんな妄想だけが膨らんでいた時に出会った一冊の本が「14歳からはじめるC言語わくわくゲームプログラミング教室」でした。
この本には私の大好きなウィザードリィ風の疑似3Dダンジョンの作り方がのっており、「これで俺も!」と急いでアマゾンで買いました。
この本とゲヱム道館さんのウィザードリィの作り方動画を参考にDXライブラリを使ってウィザードリィの1階のマップを再現しWindowsで動かせるアプリケーションを作れました。
この時に初めてQiitaに投稿したものがこちらです。
しかし作ってみてすごく時間がかかりました。「こりゃかなりしんどいな」と。
仕事も立て込んでおり、ちょっとゲームづくりはお休みするか!といつものパターンになりました。
そんなある日、妻から司令が下されたのです。
「息子のためにひらがな練習アプリつくれや、こら」と。
Unity再始動とスタジオしまづ
妻の命令は絶対的なもので、その瞬間から私はスマホで出来る息子のひらがな練習アプリを作らねばならなくなりました。
しかし私にはアプリを作る技術などありません。
そこで思い出したのがUnityでした。
「そういえばタッチで何かする、とか線を引くとかできたはずだぞ?」と。
久々にUnityを起動させ、Google検索を駆使しひらがなアプリの土台を作り始めました。
一人で作業しながらなんとか「あ」をなぞるところまで出来たものの、Unityは素人同然。
それなりの時間を要し、作業も進まずモチベーションも徐々に落ち始めていったのです。
こりゃ一人ではまたいつものパターンになると感じた私はある動画を思い出しました。
以前youtubeでインベントリーをUnityで実装する動画を見てチャンネル登録だけはしていたスタジオしまづの動画でした。
確かこの動画だったと思います。
そういえばUnityのオンラインサロンやってるって言ってたな。と。
以前別のウェブ系のオンラインサロンで高額のお金だけ払いあまり身につかなかった少し苦い経験をしていたので、「入っても大丈夫かしら?」と思いながらも、このまま一人でやってても完成出来ないだろうし、やる気出ないなと感じていたので思い切ってその門を叩いてみました。
入ってみた結果、大満足でした。
入り口からして以前入った某ウェブ系のサロンとは大違いでした。
最初オーナーの嶋津さんに私のスキルや、私がこれからやろうとしてることなど丁寧なヒアリングをしてもらいました。
またどういう風にひらがなアプリを作っていくかといったロードマップを示してもらいました。
このサロンは会員ひとりひとりを大切にしてくれるサロンだなと直感しました。
サロン会員の進捗を紹介するしまづ祭やスタジオしまづ主催の1週間でゲームを作り切る1ウィークゲームジャム、またそれに伴いサロン会員同士で共同で一つのゲームを完成させる共同開発などイベントが多数あり、Unityに関する質問も「こんなこと聞いちゃってもいいのかな?」と思うようなことも気兼ねなく質問できるし、私にとってはパラダイスのようなところです。
特に共同開発では以前懸念していた「絵」「音」「プログラミング」を一人ではなく分担して一つのゲームを仕上げることが出来るし、githubの使い方をちゃんと理解出来たのも私にとっての財産でしょう。
この経験がプラスになって今では「絵」も「音」も「プログラミング」もクオリティは低いですがなんとか一人でこなせるようになりました。
スタジオしまづの宣伝をするわけではないですがUnityでゲーム開発を一人で挑戦して煮詰まってる人にはおすすめできるオンラインサロンです。
未経験に等しかった私が、サロンに参加してからゲームを完成まで持っていくことができ、Androidアプリまでリリースすることが出来ました。
この場を借りてスタジオしまづのオーナーである嶋津さんには感謝を申し上げたい。
そして現在は新たなAndroidのシューティングゲームを開発中です。
そんな私、タニス谷山がこのブログを運営しております。
Unityで今まで覚えたこと、そしてこれから覚えていくことを初め、ブラウザで遊べるミニゲーム、個人開発しているゲームの情報など発信していきたいと思っております。
ダラダラと長い駄文を最後まで読んでいただきありがとうございました。